COVIDからの回復:階段を上ることがエベレスト登山のように思える
カレンダーの日付は、4月10日金曜日、グッド・フライデーです。
この日は私にとって、グレート・フライデーでした。
COVID-19との20日間にわたる格闘の末、私はペン・プレスビテリアン医療センターから退院するところでした。
私は意識を失い、入院期間の内13日間は、人工呼吸器をつけていました。
人工呼吸器を必要とするCOVID-19の患者のほぼ35%が、人工呼吸器を外すことができていません。
しかし私のケースでは、入院後挿管されてから6日後、状況が非常に良いように見えたため、担当の医療チームは私を人工呼吸器から外すことを考慮しました。
その後、すべての計画がクラッシュしました。
発熱のない状態が48時間続いた後、私の体温は突然39.7度まで急上昇しました。
心拍数が上がり、呼吸が困難になりました。
私は、人工呼吸器関連肺炎を発症しました。
これは人工呼吸器使用者の9%から27%が発症する合併症であり、私は治療のため抗生物質を静脈内投与されました。
医師は、ナース・プラクティショナー(上級の看護職)である娘のリンジーに、私の体があとどれ位持ちこたえられるか分からないと告げました。
それでも、担当医療チームのおかげで乗り越えることができました。
私は、家路についていました。
ですので、本当に、私にとっては素晴らしい金曜日だったのです。
しかし、それはCOVID-19の旅の序盤の終わりに過ぎなかったということを、この時はまだ理解できていませんでした。
病院のスライド式のガラスドアが開くと、4月の空気が舞い込んできました。
3週間近く見ていなかった空は、きれいな青色をしていました。
そして、車のそばではフィアンセのモニカが、私を自宅に連れて帰るため待機していました。
私は、生きていることを実感しました。
私は新しい、シルバーの歩行器を持ち歩いていました。
COVIDにかかる2週間前、私は男子アイスホッケーリーグでゴールを決めていました。
アイスホッケーはかれこれ数十年間続けており、これにより健康を維持できていました。
ですが私は今車いすにのり、膝には折りたたんだ、車のフロントグリルのような見た目の歩行器を抱えています。
そのうえ、これだけでは十分ではなかったのか、私の左手首には、ひと区画先にいる近視の人でも見える程黒い太文字で「FALL RISK(転倒リスクあり)」と書かれた鮮やかな黄色いバンドが巻かれています。
そして私には事実、転倒リスクがあります。
COVIDにより体重が27ポンド(約12キロ)も減り、ゴールを決めていた脚が今ではモニカに「チキンレッグ」と呼ばれるほど、小枝のように細くなってしまいました。
直面した最初の困難は、家の中に入ることでした。
普段なら軽々と駆け上がっていた6段の階段が、エベレスト登頂のように過酷に感じました。
新しい友人の歩行器は、役立たずでした。
私は手すりをつかみ、自分自身を安定させた後、すぐ後ろにいるモニカに倒れこみました。
ソファにたどり着きましたが、頭がクラクラとして、心臓は胸が振動しているように感じるほど激しく鼓動していました。
最初はたくさん眠りました。
姿勢をわずかに変えただけで、心拍数が上がりました。
会話することで、疲れ果てました。
シャワーを浴びることのようなより困難な作業には、綿密な計画や準備が必要でした。
歩行器に移動しやすいように入浴用椅子を配置し、お湯の温度を調節し(呼吸に影響するほど熱くない温かさに)、椅子から歩行器に移動します。
退院して数日後、病院のCOVID-19自宅療法チームから小包が届きました。
荷物にはデジタル体温計、血圧計、酸素濃度計(血中酸素濃度を測定するため)、タブレットPCが梱包されていました。
毎日午前と午後、1日2回行われる看護師との対話に備えて、モニカは私のバイタルサインをタブレットに読み込みました。
タブレットは、毎週の理学療法士および作業療法士との診察予約の際も使用されました。
回復するためには、理学療法士のサラと作業療法士のマリッサの協力が不可欠でした。
歩行器を使った最初の回復ステップは、30秒間続けられました。
私はその場で足踏みをし(歩行器につかまりながら)、座ったり立ったりする練習をし、座ったままつま先立ちをしたり、手をカウンターについたまま片足でバランスを取ったりしました。
私は基本的なセルフケアを行うことができ、物を書いたりギターを弾いたりする作業を再び始めたいと考えていたため、マリッサは幅広い動きや調節、軽めのバンドを用いた握力強化エクササイズに焦点を当てました。
私の持久力や筋力は向上しました。
そして短期間で、キーボードを操作したりギターを弾けるようになりました。
天気の良い日、私はモニカと近所の家まで歩き、最終的に歩行器を離れることができました。
握力バンドの利用をやめ5ポンドのウェイトに変え、すぐに10ポンドに移行し、片足でのステップアップバランスを行いました。
心臓の鼓動はまだ早く、時折息切れが起こり、活動後は完全に疲れ切っていました。
しかし、私は活動をつづけました。
退院から5週間後、看護師や療法士による自宅療法から改めて退院することができました。
私はCOVID-19生存者の中でも幸運な方であると考えています。
心拍数は通常の安静値に戻り、呼吸が大幅に改善されました。
残っている唯一の問題は、声です。
この問題が解決するには、6カ月かかると言われています。
これが治れば、COVID-19前とほぼ同じ状態に戻ります。
たくさんの人に、特にペン・プレスビテリアン医療センターの医師や看護師には感謝しています。
彼らによって私の命は救われました。
そして、私の人生を取り戻す手助けをしてくれたモニカや遠隔医療チームにも、感謝しています。
出典 2020年8月10日更新 Medical Daily 『COVID Recovery: When Ascending the Steps Seems Like Climbing Mt Everest』(2020年8月12日に利用)
https://www.medicaldaily.com/covid-recovery-when-ascending-steps-seems-climbing-mt-everest-455377
この日は私にとって、グレート・フライデーでした。
COVID-19との20日間にわたる格闘の末、私はペン・プレスビテリアン医療センターから退院するところでした。
私は意識を失い、入院期間の内13日間は、人工呼吸器をつけていました。
人工呼吸器を必要とするCOVID-19の患者のほぼ35%が、人工呼吸器を外すことができていません。
しかし私のケースでは、入院後挿管されてから6日後、状況が非常に良いように見えたため、担当の医療チームは私を人工呼吸器から外すことを考慮しました。
その後、すべての計画がクラッシュしました。
発熱のない状態が48時間続いた後、私の体温は突然39.7度まで急上昇しました。
心拍数が上がり、呼吸が困難になりました。
私は、人工呼吸器関連肺炎を発症しました。
これは人工呼吸器使用者の9%から27%が発症する合併症であり、私は治療のため抗生物質を静脈内投与されました。
医師は、ナース・プラクティショナー(上級の看護職)である娘のリンジーに、私の体があとどれ位持ちこたえられるか分からないと告げました。
それでも、担当医療チームのおかげで乗り越えることができました。
私は、家路についていました。
ですので、本当に、私にとっては素晴らしい金曜日だったのです。
しかし、それはCOVID-19の旅の序盤の終わりに過ぎなかったということを、この時はまだ理解できていませんでした。
病院のスライド式のガラスドアが開くと、4月の空気が舞い込んできました。
3週間近く見ていなかった空は、きれいな青色をしていました。
そして、車のそばではフィアンセのモニカが、私を自宅に連れて帰るため待機していました。
私は、生きていることを実感しました。
私は新しい、シルバーの歩行器を持ち歩いていました。
COVIDにかかる2週間前、私は男子アイスホッケーリーグでゴールを決めていました。
アイスホッケーはかれこれ数十年間続けており、これにより健康を維持できていました。
ですが私は今車いすにのり、膝には折りたたんだ、車のフロントグリルのような見た目の歩行器を抱えています。
そのうえ、これだけでは十分ではなかったのか、私の左手首には、ひと区画先にいる近視の人でも見える程黒い太文字で「FALL RISK(転倒リスクあり)」と書かれた鮮やかな黄色いバンドが巻かれています。
そして私には事実、転倒リスクがあります。
COVIDにより体重が27ポンド(約12キロ)も減り、ゴールを決めていた脚が今ではモニカに「チキンレッグ」と呼ばれるほど、小枝のように細くなってしまいました。
直面した最初の困難は、家の中に入ることでした。
普段なら軽々と駆け上がっていた6段の階段が、エベレスト登頂のように過酷に感じました。
新しい友人の歩行器は、役立たずでした。
私は手すりをつかみ、自分自身を安定させた後、すぐ後ろにいるモニカに倒れこみました。
ソファにたどり着きましたが、頭がクラクラとして、心臓は胸が振動しているように感じるほど激しく鼓動していました。
最初はたくさん眠りました。
姿勢をわずかに変えただけで、心拍数が上がりました。
会話することで、疲れ果てました。
シャワーを浴びることのようなより困難な作業には、綿密な計画や準備が必要でした。
歩行器に移動しやすいように入浴用椅子を配置し、お湯の温度を調節し(呼吸に影響するほど熱くない温かさに)、椅子から歩行器に移動します。
退院して数日後、病院のCOVID-19自宅療法チームから小包が届きました。
荷物にはデジタル体温計、血圧計、酸素濃度計(血中酸素濃度を測定するため)、タブレットPCが梱包されていました。
毎日午前と午後、1日2回行われる看護師との対話に備えて、モニカは私のバイタルサインをタブレットに読み込みました。
タブレットは、毎週の理学療法士および作業療法士との診察予約の際も使用されました。
回復するためには、理学療法士のサラと作業療法士のマリッサの協力が不可欠でした。
歩行器を使った最初の回復ステップは、30秒間続けられました。
私はその場で足踏みをし(歩行器につかまりながら)、座ったり立ったりする練習をし、座ったままつま先立ちをしたり、手をカウンターについたまま片足でバランスを取ったりしました。
私は基本的なセルフケアを行うことができ、物を書いたりギターを弾いたりする作業を再び始めたいと考えていたため、マリッサは幅広い動きや調節、軽めのバンドを用いた握力強化エクササイズに焦点を当てました。
私の持久力や筋力は向上しました。
そして短期間で、キーボードを操作したりギターを弾けるようになりました。
天気の良い日、私はモニカと近所の家まで歩き、最終的に歩行器を離れることができました。
握力バンドの利用をやめ5ポンドのウェイトに変え、すぐに10ポンドに移行し、片足でのステップアップバランスを行いました。
心臓の鼓動はまだ早く、時折息切れが起こり、活動後は完全に疲れ切っていました。
しかし、私は活動をつづけました。
退院から5週間後、看護師や療法士による自宅療法から改めて退院することができました。
私はCOVID-19生存者の中でも幸運な方であると考えています。
心拍数は通常の安静値に戻り、呼吸が大幅に改善されました。
残っている唯一の問題は、声です。
この問題が解決するには、6カ月かかると言われています。
これが治れば、COVID-19前とほぼ同じ状態に戻ります。
たくさんの人に、特にペン・プレスビテリアン医療センターの医師や看護師には感謝しています。
彼らによって私の命は救われました。
そして、私の人生を取り戻す手助けをしてくれたモニカや遠隔医療チームにも、感謝しています。
出典 2020年8月10日更新 Medical Daily 『COVID Recovery: When Ascending the Steps Seems Like Climbing Mt Everest』(2020年8月12日に利用)
https://www.medicaldaily.com/covid-recovery-when-ascending-steps-seems-climbing-mt-everest-455377